受動意識仮説

前野隆司が提唱する意識の理論。意識(クオリア・現象的意識)は無意識の情報処理を能動的に統合・制御する司令塔ではなく、無意識が並列分散的に出した結果を受動的に受け取り、エピソード記憶へ流し込むための装置にすぎない、とする。

通説の[consciousness-searchlight-model|サーチライトモデル]を否定する点が核心。意識が「私が決めた」「私が感じた」と思うのは幻想で、実際にはボトムアップに湧き上がった無意識の結果に受動的に注意が向いているだけ、と論じる。

「幻想」は近づくと消えるという意味ではない。本当は無意識がやったことを、あたかも自分(意識)がやったかのように体験している、という意味での幻想。クオリアそのものも幻想だと前野は立場をとる(クオリアこそ核心だとする茂木健一郎への再反論)。

地(知覚・知的情報処理)・情(感情)・意(自由意志)という意識に上る3要素すべてが受動的・自動的だと論じる。知覚と意志のずれはconsciousness-time-shift、意志の後付けはリベットの実験や分離脳患者の作話(michael-gazzaniga)が根拠。意識がなぜあるかはepisodic-memory-and-consciousnessで説明する。

前野は後に、この受動的な世界観が仏教の無我・非我や老荘思想と一致すると気づく(anatta-passive-consciousness)。元はロボットに意識を作れるかという工学的問いが出発点で、エピソード記憶モジュールを付ければ機能的には意識を持つロボットになる、と主張する(see Ox8gJEIe5Ac)。