意識は幻想か?―「私」の謎を解く受動意識仮説

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概要

前野隆司受動意識仮説を解説する慶應の講義。意識は無意識を統合する司令塔ではなく、無意識が出した結果を受動的に受け取りエピソード記憶へ流し込む装置にすぎない、と論じる。知覚・感情・自由意志のいずれも受動的だと示し、リベットの実験や分離脳の作話、人工の盲点を根拠に挙げる。意識を中心とみなす見方を心の天動説と呼んで退け、最後に仏教の無我・非我との一致へ接続する。

要点

  • 意識(クオリア)は無意識を能動的に統合する司令塔ではなく、結果を受け取る脇役。通説のサーチライトモデルを否定する
  • 意識が存在するのはエピソード記憶のため。並列分散の脳内処理から大事なものを選び、直列の記憶へまとめる装置が意識だとする(episodic-memory-and-consciousness)
  • 知・情・意のすべてが受動的。連想は勝手に湧き、感情は湧き上がり、意志も後から来る
  • 意識の「今」は脳の処理タイミングからずれている。人工の盲点では未来の色が見え、認識には0.5秒かかるのに見た瞬間に分かった気がする(consciousness-time-shift)
  • 自由意志は後付け。リベットの実験で脳活動が意志の0.35秒前に始まり、分離脳患者は行動の理由を作話する
  • エピソード記憶を持つ哺乳類・鳥類だけが意識を持つ、という系を導く。カブトムシは持たない
  • 受動的な世界観は仏教の無我・非我や老荘思想と一致し、能動的な西洋近代哲学(デカルト・カント)と対比される

構造化サマリ

問い:意識は何のためにあるか

意識を、痛い・嬉しい・悲しいと生き生き感じるクオリア(現象的意識)と定義する。チンパンジーは持つが、カブトムシはルールに従うロボットのようで持たない、と前野は見る。進化で生じた以上、意識にも理由があるはずだと問いを立てる。

通説では、無意識の並列処理のどこかに意識がサーチライトを当て、自分を統合すると考える(consciousness-searchlight-model)。前野はこれを否定する。

受動意識仮説とエピソード記憶

脳は並列分散的に膨大な処理を同時に行う。その全てを記憶するとパンクするため、大事なものだけを選び、時間に沿った直列のエピソード記憶へまとめる装置が要る。前野はこの装置こそ意識だとする(episodic-memory-and-consciousness)。

意識は能動的に統合するのではなく、無意識が出した結果を受動的に受け取り、自分がやったかのように体験して記憶する。「私が決めた」「私が感じた」は幻想(passive-consciousness-hypothesis)。

知:知覚と知的情報処理は受動的

考えは思い出そうとして出るのではなく、連想ゲームのように勝手に湧く。知覚も受動的で、しかも時間がずれている(consciousness-time-shift)。

下条信輔らの人工の盲点の実験では、磁気刺激でできた視野の穴に、まだ提示していない未来の色(緑)が見える。自分の目が動く瞬間は見えず、秒針が止まって見え、青い服の人と分かるのに0.5秒かかるのに見た瞬間に分かった気がする。脳は錯視で空間を歪めるように、時間も都合よく歪めている。

情:感情も湧き上がる

嬉しい・悲しいは能動的に思うのではなく、出来事の結果として湧き上がる。前野は感情のクオリアはロボットと違うが、湧き上がる仕組み(アルゴリズム)はロボットと似て自動的だとする。

意:自由意志は後付け

意識の3要素で最も受け入れがたいのが自由意志。リベットの実験では、指を曲げようと意識する0.35秒前に運動準備電位が発火している(libet-experiment)。久保田氏が指摘した Nature Neuroscience の研究では、決定が行動の4〜8秒前に始まるという。

ガザニガの分離脳患者では、右脳に「歩け」と指示して歩かせ、左脳に理由を聞くと「喉が渇いたのでジュースを買いに行く」と作話する。下条の顔の好み実験でも、決める前に視線が先に答えへ偏る。意志は無意識の決定を後から体験しているにすぎない。

まとめ:心の天動説から地動説へ

意識を心の中心とみなすのは天動説。実際は無意識が主役で、意識はその結果を受け取り記録する脇役だとする「心の地動説」へ転換する(mind-geocentric-heliocentric)。意識は万能社長ではなく社史編纂室長、独裁ではなく無意識の民主主義に近い。無意識も自分なので、嫌がる必要はないと言う。

エピソード記憶を持つ動物だけが意識を持つ、という系も導く。哺乳類(ネズミ等)や鳥類(カラス・カケス)はできるが、カブトムシは意味記憶だけで動く。カエルは未確認。鳥は脳構造が違うのでクオリアまで持つかは不明とする。

ロボットの意識と東洋思想

元の出発点はロボットに意識を作れるかという問い。知・情・意も記憶も学習もできるロボットに、結果をエピソード記憶へ流し込むモジュールを足せば、機能としては意識を持つ、と主張する(クオリアの作り方は未解決)。

著書への反響として、スピノザ・ヒューム・行動主義心理学・釈迦と同じだという批判を受け、前野は自説が東洋的だと気づく。ブッダ研究者の石飛道子の指摘で、釈迦の無我(私はない=幻想)と非我(私ではない=受動)が自説に対応すると整理する(anatta-passive-consciousness)。老荘思想や現代哲学(構造主義・ポストモダン)とも通じるとし、東洋思想の再評価を訴えて締める。

登場エンティティ・コンセプト

印象的な引用

意識というのは、無意識のいろんなことをやった結果を受け取って、あたかも自分がやったかのように思っている。

お釈迦様が気づかれたことを、私も2500年ぶりに気づいたにすぎない。