井筒俊彦『意識と本質』読解:禅でも易でも東洋思想ならとにかく本書【改訂2版】

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概要

井筒俊彦『意識と本質』を読み解く。私たちのリアルは五感で認識するようには実在せず、外界は素粒子の渦巻くカオス。言葉がこのカオスを区切り輪郭づける作業=分節化によって現実が立ち上がる。井筒は「本質」をイスラム哲学のマーヒーヤ(普遍的本質)とフウィーヤ(個体的本質)に二分し、プラトン・リルケ・芭蕉らを位置づける。さらに普遍的本質の肯定論を、朱子学の理学、ユング集合的無意識・元型に通じる原型的本質論、プラトンのイデア論の3つに分類する。禅は分節を外しに至る東洋の道を示す。

要点

  • 私たちの現実は五感で認識するようには実在しない。外界は素粒子の渦巻くカオスで、言葉がそれを区切り輪郭づける分節化によって太陽や海といった現実が構成される
  • 言葉を使うには対象の「本質」を見極めている必要がある。井筒は本質を、普遍的本質マーヒーヤと個体的本質フウィーヤに二分する。プラトンのイデアや古今集はマーヒーヤのみ、リルケはフウィーヤ、松尾芭蕉は両者を融合させたとする
  • 禅は禅問答や座禅で輪郭(レッテル)を外し、ぐっちゃんこなカオス=の境地を目指す。サルトル『嘔吐』は西洋人がこのカオスを垣間見て吐き気を催す例とされる
  • 普遍的本質の肯定論を3タイプに分類:①朱子学の理学(格物窮理、座禅で無意識の真相に万物の根源=無極而太極を見る)、②原型的本質論(ユング集合的無意識・元型、マンダラ・カバラのセフィロト・易が深層意識を図示)、③プラトンのイデア論と孔子の正名論
  • ノーレットランダーシュ『ユーザーイリュージョン』を引き、私たちは生のデータでなく無意識のプロセスが処理した解釈を見ており「選択の自由はない」とする(リベット実験と同型の主張)。現実は無意識のパターンで着色された映画のようなもの
  • 言語が違えば深層意識での本質把握も変わる(言語アラヤ識)。文化共同体ごとに本質体系が文化的無意識に沈殿し現実認識を規定する。お化けや神話的イメージも言語で異なってくる

構造化サマリ

カオスと分節化:言葉が現実を作る

井筒俊彦『意識と本質』の出発点は「外界をどう解釈し、リアルをどう構成するか」。私たちの現実は五感で認識するようには実在せず、外界は素粒子の渦巻くカオス(混沌)。五感はこのカオスを現実そのものに変換しており、ここで決定的なのが言葉の機能だとする。言葉がなければ太陽はただの強烈な光、海はただの巨大な水溜まりにすぎない。カオスをリアルな構成要素へ区切り輪郭づける作業を分節化と呼ぶ。言葉を使いこなすには対象(太陽や海)の「本質」を見極めていなければならない、と井筒は説く。

二種類の本質:マーヒーヤとフウィーヤ

ここから本書の本領に入る。井筒は本質をイスラム哲学の概念で二分する。マーヒーヤが普遍性の本質(「バラとはこういうものだ」という一般概念)、フウィーヤが個体性の本質(あなたの手にある一輪だけのオリジナリティ)。あらゆる事物にはこの二つが対立しつつ備わるが、どちらに比重を置くかは哲学者や流派で異なる。プラトンのイデア論や古今集はマーヒーヤのみを認め、詩人リルケはフウィーヤを重んじ、マラルメはマーヒーヤ。松尾芭蕉は「松のことは松に習え」と説き、普遍的本質が個的実在として直感される瞬間(マーヒーヤのフウィーヤへの転生)を独自に融合させたとされる。フッサールの本質はどちらとも判じがたいとされる。

禅・空と無意識のパターン

東洋思想では、禅問答による無意味な言葉の応酬などで輪郭を外し、ぐっちゃんこなカオス=の境地を見出そうとする。サルトル『嘔吐』は、西洋人がこのカオスを垣間見て吐き気を催す例として引かれる。現実の頼りなさについて井筒は、仏教が「妄念・妄想分別」と呼ぶ作用に触れる。

ここで投稿者はトール・ノーレットランダーシュ『ユーザーイリュージョン』を引く。私たちは感知したものをそのまま見るのではなく、無意識のプロセスが処理した一つの解釈(シミュレーション)を見ており、しかも選択の自由はない、という。これはリベット実験と同型の主張で、ピンチを絶望と取るか好機と取るかも、それまで培った無意識のパターンが決めるとされる。禅はこのレッテルを剥がし現実解釈をフラットに整える営みだと位置づけられる。

普遍的本質の肯定論①:朱子学の理学

井筒は普遍的本質(マーヒーヤ)を肯定する立場を3タイプに分ける。第一が中国・宋代の朱子学(理学)の格物窮理。座禅(静坐)によって解釈の偏りを均しメンタルを整え、レッテルを貼ろうとする状態(動)から気質の生のまま受け取る状態(未発=静)へ、内観を水平から垂直へシフトさせる。禅との違いは、理学が無意識の真相に万物の根源を見出す点。「無にして太極」、御名対極図(無極而太極)はそれを図化したもので、根源に至ること(窮理)で全宇宙と調和した境地を目指す。

普遍的本質の肯定論②:原型的本質論とユング

第二が原型的本質論。ユング集合的無意識・元型を理論的支柱とする。元型(アーキタイプ)は人類の深層心理に共通する型で、あらゆる神話に共通するイメージ(太陽神ならアマテラスやラー)として現れる。原型は深層意識で正規に働く本質であり、表層意識に出れば単なるファンタジーにすぎない、という条件付き。シャーマンの扱う創造的イマージュ、密教のマンダラ、ユダヤ教神秘主義カバラのセフィロト、易(疫学・易経)などは、この神秘的な深層領域=創造的イマージュ空間を図示したものだとされる。言語が違えば、潜在意識における本質把握やイマージュも違ってくる(言語アラヤ識)とも論じられる。

普遍的本質の肯定論③:プラトンのイデア論

第三がプラトンのイデア論と孔子の正名論。本田透『萌える哲学史』を引き、魂は元々イデア界にいたので現実界でもイデアへの回帰(エロス)を目指す、と紹介する。恋愛とは目の前の相手でなくイデアに恋焦がれることだとされ、ユング的に言えば心に持つ異性の元型(アニムス/アニマ)を投影できる相手を好む、という解釈につなぐ。プラトンの魂の三分説(理性・意志・欲望)から四元徳(知恵・勇気・節制・正義)、理想国家論へも触れる。孔子の正名論(名は実体を表す)はイデア論と対応し、荘子はこれを批判して、善悪美醜の区別は人間生活の社会的・歴史的な慣習にすぎないと論じた。井筒はこの対立を「表層意識の存在感と深層意識の存在感の大事」とまとめる。

登場エンティティ・コンセプト

  • izutsu-toshihiko — 『意識と本質』の著者。東洋・イスラム哲学の碩学
  • carl-jung — 集合的無意識・元型を唱えた心理学者
  • plato — イデア論を唱えた古代ギリシャの哲学者
  • benjamin-libet — 脳活動が意思に先行することを示した神経科学者
  • linguistic-articulation — 言葉がカオスを区切り現実を構成する作用(分節化)
  • mahiya-and-huwiya — 普遍的本質と個体的本質の二分法
  • collective-unconscious — 人類に共通する深層心理と元型
  • sunyata-emptiness — 分節を外した先にある禅の「空」
  • libet-experiment — 意思の自覚に脳活動が先行する実験(無意識の優位)

印象的な引用

意識にのぼるのは解釈であって、生のデータではない。

言語によって無分節の存在が分節されて、存在者の世界が経験的に成立する。