マーヒーヤとフウィーヤ(普遍的本質と個体的本質)
井筒俊彦が『意識と本質』で、イスラム哲学の概念を用いて本質を二分した枠組み。マーヒーヤが普遍性の本質、フウィーヤ (huwiyya) が個体性の本質を指す。自動字幕では「フーヤ」「フイヤ」と聞き取られるが正書は「フウィーヤ」。
例えばバラなら、「バラとはこういうものだ」という一般概念がマーヒーヤ、あなたの手にある一輪だけのオリジナリティがフウィーヤ。あらゆる事物にはこの二つが対立しつつ備わるが、どちらに比重を置くかは哲学者や流派で異なる。プラトンのイデア論や古今集はマーヒーヤのみを認め、詩人リルケはフウィーヤ、マラルメはマーヒーヤ。松尾芭蕉は「松のことは松に習え」と説き、普遍的本質が個的実在として直感される瞬間(マーヒーヤのフウィーヤへの転生)を私的言語=俳句に結晶させたとされ、両者の融合に成功したと評される。
井筒はさらに、普遍的本質(マーヒーヤ)を肯定する立場を3タイプ——朱子学の理学、原型的本質論(ユング)、プラトンのイデア論と孔子の正名論——に分類する(see huCn3KZxgdA)。