純粋持続
ベルクソンが『試論(時間と自由)』で立てた中心概念。言語・解釈以前の、区別のない質的多様体としての意識の流れを指す。デカルトの言う空間的な「延長」と対をなし、測ることも分割もできず、要するにシミュレーション不可能なものとされる。
何も考えず音楽に身を委ねる状態が例に挙げられ、動物が生きている持続とも表現される。私たちはこの未分化な段階から、無意識のパターンによって輪郭づけられた色のついた現実を構成する。気持ちの強さ=強度は、この純粋な質を量に変換した「質と量の妥協」だとされる。
純粋持続は唯一無二で再現不可能だとベルクソンは繰り返す。神でさえ本人に完全になり変わらない限りその経験を予見できない。決定論の議論は対象を測定可能なものに置き換えた時点で、もはや純粋持続を扱っていないと批判される。同じく言語以前のカオス(無分節)を出発点に置く井筒俊彦の分節化論や、ジェームズ・西田の純粋経験と問題意識を共有する。