moon没エンディングの真実!? 演劇編

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概要

moon』の没要素「竜のしっぽ」をめぐり、語り手が過去の一人芝居とのつながりを振り返る短い配信切り抜き。スクウェア時代には他者の物語に関わる立場だったが、自分の物語をゲームへ持ち込む初期経験として位置づけられる。内容は、没にした理由、手塚治虫『火の鳥』の八百比丘尼との類似への気づき、演劇活動の宣伝や上演の苦労へ広がる。終盤では倉島一幸の線画や、配信で語り・芝居を再演する可能性にも触れる。

要点

  • 「竜のしっぽ」は、語り手がゲームで初めて自分の物語を出した経験として語られる。
  • 過去の一人芝居『もののけ』にも、いじめられた子どもが異空間で無限ループに入る構造があり、「竜のしっぽ」と近い。
  • 没にした理由の一部として、手塚治虫『火の鳥』の八百比丘尼の話に似ていると気づいたことが挙げられる。
  • ネット以前の演劇活動では、ハガキ、招待状、チラシを自分で配り、100人集めれば赤字を免れる規模感だった。
  • 『もののけ』の三味線担当が、『moon』内の「月アカリじょんがらロード」を弾いた人物につながる。
  • 終盤では倉島一幸の当時の線画を見せ、描く速度やリズムのすごさを語る。
  • 配信や小劇場で、いつか芝居や語りを再びやりたいという思いもにじむ。

構造化サマリ

「竜のしっぽ」と自作物語の原点

語り手は、スクウェア在籍時には『ロマサガ』チームにいたが、物語は河津氏が書いていたため、自分の物語をゲームで発揮する機会はなかったと振り返る。そのため『moon』の「竜のしっぽ」は、ゲーム内で自分の物語を出す初期の経験として語られる。

一方で、その物語はゼロから突然出てきたものではない。語り手は以前から一人芝居をしており、『もののけ』という芝居には、いじめられていた子どもが異空間に入り、無限に繰り返すループへ入る筋立てがあった。今から見ると、それが「竜のしっぽ」とかなり似ていると述べる。

没になった理由と八百比丘尼への類似

「竜のしっぽ」をやめた理由の一部として、制作中に『火の鳥』の八百比丘尼の話とよく似ていると気づいたことが語られる。語り手自身も「似ている」と強く感じ、まずいと思ったという。

ただし、これが唯一の決定的理由だったわけではない。動画では「やめた理由の1/10ぐらい」と表現され、他にもゲーム内で良いことや事情があったと示唆される。ここでは、没要素が単なる削除ではなく、作者の記憶、既存作品との距離感、制作判断の重なりから生まれることが見える。

ネット以前の一人芝居と集客

話題は、語り手がかつて行っていた一人芝居へ移る。ネットがない時代に客を集めるには、ハガキ、招待状、手紙、チラシを作り、スクウェアの職場や東京で知り合った友人、関西や他県の知人にまで配っていたという。

一回の公演で100人入れば赤字にならない、という規模感も語られる。小さなライブハウスや劇場で、自分で宣伝し、自分で物語を書き、演技し、演出する。形式は落語そのものではないが、一人で語りを入れ、三役ほどを演じ分ける、絵本を読むような演劇だったと説明される。

音楽と『moon』への接続

『もののけ』の上演では、ライブで効果音を鳴らす担当者や、三味線で音楽を担当する人物がいた。その三味線担当の「大ちゃん」が、『moon』に収録された「月アカリじょんがらロード」を弾いた人物だと明かされる。

この接続により、語り手の小劇場的な活動と『moon』の音楽・世界観が地続きだったことが見えてくる。ゲーム制作の素材は、社内の企画だけでなく、個人的な演劇活動や人間関係からも流れ込んでいた。

倉島一幸の線画と今後の語り

終盤では、倉島一幸が当時描いた「竜のしっぽ」登場キャラクターの線画を見せる。語り手は、話をすると倉島がすぐに絵を描いてくれる速度や、リズミカルな描き方を称賛する。

さらに、いつか芝居の話をもっとしたい、配信で芝居や語りができたらよい、と語る。昔は100人を集めるのが大変だったが、配信では同時視聴者がそれを超えることもあり、メディア環境の変化が過去の演劇活動を別の形で再開する可能性として語られる。最後は「竜のしっぽ」の話をいったん終え、質問コーナーとチャンネル登録の案内へ移る。

登場エンティティ・コンセプト

  • moon-rpg — Onion Games につながるRPG作品で、この動画では没エンディング案「竜のしっぽ」の回想対象。
  • kurashima-kazuyuki — 『moon』周辺のビジュアルを担った人物として、当時の線画やチラシの話題で登場。
  • cut-content — 「竜のしっぽ」が実装・公開されなかった背景を整理するための中心概念。
  • game-reality-boundary — 個人の演劇、語り、記憶がゲーム内の物語へ入り込む関係を捉える概念。

印象的な引用

「ゲームで自分の物語を発揮するのって初めてだったんですよ。」

「やばい! これ“八百比丘尼”とすげーそっくりだ!」

「自分で宣伝して、自分でお話書いて、自分で演技して演出して、やる演劇。」